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未完成の人生地図

記事内容を更新していくスタイルでブログを作って行きます。

人生のステ振り

下書き

 

ロールプレイングゲームが好きだ。

学生の頃は地理の勉強も好きだった。

 

関係ないようで動機は同じ。

なんとなく他人の人生に没入できる。

この上ない現実逃避になる。

 

歳を取るにつれ、周りの大人がどうにかしてくれた部分が減ってきた。

自分でどうにかしないといけない部分が増えてきた。

 

他人事ならストレスも覚えずに済むのに、

当事者だと目を背けたくなることが沢山。

でも達成感は当事者じゃないと人一倍噛み締められない。

 

僕は僕を、僕というキャラクターと、

それを操作するプレイヤーという二つの視点を持つことにした。

そして辛い時はプレイヤーに没入し、楽しい時はキャラクターに没入するようにした。

 

「プレイヤー」という表現はゲームから解釈を借りてるけど、

スピリチュアル的な表現にすると「ハイヤーセルフ」、心理学的な表現にすると「無意識」って風に呼べるかな?

 

そう、とても内省的な人間なのだ。

精神的にかなり引きこもっている。

 

自分の両目で見た宇宙より、

宇宙から見た自分の方が好きなんだと思う。

 

自分の中に宇宙を感じていて

もう自意識としては神クラスの自尊心で

しかも自分の中の宇宙が外の宇宙と繋がってると信じてやまないからたちが悪くて

 

マトリックスって映画を見たときに感じたのは

「あー、だったら俺も神様になれるんだな」だった。

あの映画の理屈で言うと、自分も操られている存在。それはそれでいい。

ネズミ講みたいな考え方をすれば、自分がいかに親になるかでしょ?

「操られてたらどうしよう」みたいなものはなかった。

銀河ヒッチハイクガイドも、ニューロマンサーも読んでたしね。

 

神とか神じゃないとか置いておいたとして、

このレベルの世界に限って言及しても

貨幣価値というもので親と子が決まって

いつだって親になるしか勝ち方はないわけでしょ。

 

どうやって人生の親になるか

これが人の命の著し方。

どうやって経済の親になるか

これが社会的生命の著し方。

どうやって人の親になるか

これが生物的生命の表し方。

 

乾いた人生観との見方もあるでしょう。

受け止めます。

でもね、乾いてた方が水を吸うんだよ。

てへぺろ

 

 

あれっ

 

ステ振りの話するつもりだったのに

いのちのなんたらについて語っちゃったよ

後日統合します

 

 

とりあえず走り書き

気分でムラが出るのでムラ含めて

10段階評価

覇気:3~7

オーラの出方。気分次第。

対人:5~7

自分で距離感作れる優位性は保とうとする。

嫌いな人には近寄らない。

敵にならないよう努める。

内省:7~9

自分をわかること。割と自信ある。

上昇志向:7~9

自分を育てること。危機感はいつもある。

主体性:4~8

空気読む率、読まない率。

たまにわざと空気読まない。

適応性:7

空気読める率。

体力:3

自信なさげ。

気力:4~8

追い込まれるとしぶとい。

慰めがあるとすがりたくなる。弱い。

客観性:3

割と自分本位。

 

 

いのちの意味付け

手垢にまみれた疑問だけど根本的な話。

人はなぜ産まれ、生きて、死ぬのか。

について。

 

少年のころ、大好きな人が亡くなった。自殺だった。

心を病むという事象も、自分で死ぬという行動も

想像したこともなかった私には受け止め方がわからなかった。

 

いのちについて考え始めたきっかけだった。

 

面白いヒントになった小説があった。

「銀河ヒッチハイクガイド」というSF小説

 

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

 

 

この中に「事象渦絶対透視機」という究極の死刑台がある。

宇宙における自分の存在のちっぽけさを嫌というほど見せつけられ発狂に至るらしい。

 

もし世界にあなたしか人がいなかったら、

あなたの両目で見たものだけがあなたの世界を構築する要素になっていく。

 

身近にもう一人だけ私がいたとしたら、

私からの伝聞情報も、あなたというフィルターを通してあなたの世界に組み込まれていく。

あなたと私の世界は、あなたと重ねた言葉の数だけ似通っていくだろう。

でも絶対に100%同じものにはならない。目の場所が違うから。

 

 

人は一人で生きていくには弱すぎたらしい。

集団で行動をとるようになった。

小社会集団にいくつも属し、その数だけ派生的に世界が増えていく。

いくつもの世界を無意識に渡り歩いて生きていく。

時々うまく適合できずに疲弊したり、逃げたりする。

本当に疲れたら精神的に引きこもってみてもいいと思う。

 

宇宙規模の時空的広がりを前に、一人の人生などほとんどゼロに等しい。

だからその意味を少しでも持たせたくて

時の権力者たちは領土を拡大したり不老不死を目指したりしたのかな。

 

いのちの意味付けについて普遍的な正しさというものはおそらく存在していない。

 

ただこれだけインターネットが発達して

いろんな景色を画面越しにだけどみられるようになった。

いろんな人の考えを聞けるようになった。

 

東京から福岡へ向かう飛行機の中で

「世界の宗教」みたいなブックレットを読んでいた。

 

交通機関が発達したことで私たちの一歩は大きくなった。

メディアのおかげで私たちの目と耳も大きくなった。

重たいものを運べるようになった。

この辺りは全部お金で買える。

 

心の大きさだけはお金で買えない。

不思議だね。

少し前の話に戻ると世界の見方は二通り。

自分の両目から宇宙を眺める視点と

宇宙から自分を眺める視点。

 

たぶん大人になるにつれ目が曇っていくのは

自分の目に宇宙を映すことをあきらめていくからだと思う。

 

よくまとまんなかったな。

まぁ不慣れだからこんなもんでしょ。

ブログを開設してみた。

このブログを開設するまでの半月、もっぱらYoutuberの動画を視聴していました。

触発されて、私も何か発信したい!と思いました。

 

ユーチューバーのなんと華やかなことか!

若年層の視聴者もファンについたりして

若い子にキャーキャーもてはやされ……

うらやましいの一言につきます。

 

ですが残念なことに、

私は思ったことを即座に言語化する機能が弱いのです。

なので動画や音声の配信は不向きと思いました。

一方で、昔からものを書くのが好きでした。

何かを発信するなら文字媒体でやりたかった。

 

メディア媒体として文字媒体というのは

これからどんどん衰えゆく世界なのかもしれません。

新聞どころかテレビまで、死んだと言われるご時世ですから。

 

日の目を見ることはないでしょう。

 

時流の地層深くに眠る遺物として

このブログを密かに埋蔵していきたいと思います。

 

それから、このブログはテーマ毎に記事をカテゴライズして、記事を新たに作るのではなく既存の記事を更新していくスタイルを取っていきたいと思っています。

 

最終的には記事数が変わらず、内容が自身の成長を反映しているようなブログになればな、と思います。

 

記事が増えてきたらこの記事を更新しました!ってページを設けます。