いのちの意味付け
手垢にまみれた疑問だけど根本的な話。
人はなぜ産まれ、生きて、死ぬのか。
について。
少年のころ、大好きな人が亡くなった。自殺だった。
心を病むという事象も、自分で死ぬという行動も
想像したこともなかった私には受け止め方がわからなかった。
いのちについて考え始めたきっかけだった。
面白いヒントになった小説があった。
- 作者: ダグラス・アダムス,安原和見
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2005/09/03
- メディア: 文庫
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この中に「事象渦絶対透視機」という究極の死刑台がある。
宇宙における自分の存在のちっぽけさを嫌というほど見せつけられ発狂に至るらしい。
もし世界にあなたしか人がいなかったら、
あなたの両目で見たものだけがあなたの世界を構築する要素になっていく。
身近にもう一人だけ私がいたとしたら、
私からの伝聞情報も、あなたというフィルターを通してあなたの世界に組み込まれていく。
あなたと私の世界は、あなたと重ねた言葉の数だけ似通っていくだろう。
でも絶対に100%同じものにはならない。目の場所が違うから。
人は一人で生きていくには弱すぎたらしい。
集団で行動をとるようになった。
小社会集団にいくつも属し、その数だけ派生的に世界が増えていく。
いくつもの世界を無意識に渡り歩いて生きていく。
時々うまく適合できずに疲弊したり、逃げたりする。
本当に疲れたら精神的に引きこもってみてもいいと思う。
宇宙規模の時空的広がりを前に、一人の人生などほとんどゼロに等しい。
だからその意味を少しでも持たせたくて
時の権力者たちは領土を拡大したり不老不死を目指したりしたのかな。
いのちの意味付けについて普遍的な正しさというものはおそらく存在していない。
ただこれだけインターネットが発達して
いろんな景色を画面越しにだけどみられるようになった。
いろんな人の考えを聞けるようになった。
東京から福岡へ向かう飛行機の中で
「世界の宗教」みたいなブックレットを読んでいた。
交通機関が発達したことで私たちの一歩は大きくなった。
メディアのおかげで私たちの目と耳も大きくなった。
重たいものを運べるようになった。
この辺りは全部お金で買える。
心の大きさだけはお金で買えない。
不思議だね。
少し前の話に戻ると世界の見方は二通り。
自分の両目から宇宙を眺める視点と
宇宙から自分を眺める視点。
たぶん大人になるにつれ目が曇っていくのは
自分の目に宇宙を映すことをあきらめていくからだと思う。
よくまとまんなかったな。
まぁ不慣れだからこんなもんでしょ。